第六 虚実篇(孫子の兵法)

虚実篇のポイント解説

[3つのポイント]

 ・敵は分散させ、味方は集中させる
 ・戦術の極意は「無形」
 ・敵ははっきり(虚)、こちらは無形(実)

[サマリ]

「虚」とはすきのある状態を指し、「実」は充実した状態を指す。これまでにも述べられてきたように、実を以て虚を討つことが基本であるが、ここではその手法について詳しく語られています。

読み下し文・現代語訳

読み下し文 現代語訳
孫子曰く、およそさきに戦地にりて敵を待つ者はいっし、おくれて戦地にりて戦いにおもむく者は労す。ゆえに善く戦う者は、人をいたして人にいたされず。よく敵人てきじんをしてみずからいたらしむるは、これを利すればなり。よく敵人てきじんをして至るを得ざらしむるは、これをがいすればなり。ゆえに敵いっすればよくこれを労し、けばよくこれをえしめ、やすければよくこれをうごかす。  孫子はいう。先に戦場にて敵を待つ軍隊は楽であるが、後から戦場について戦闘にはせるける軍隊は骨がおれる。これが実と虚である。戦いに巧みな人は、自分が主導権を握って相手を思いのままにして思い通りにさせることがない。敵軍を誘い出すには敵の利益を示し、敵軍がこないようにするには害なることを示す。だから安楽を疲労させたり、飢えさせたりできる。つまり実の敵を虚にするのである。
その必ずおもむく所にで、そのおもわざる所におもむき、千里をいてつかれざるは、無人の地をけばなり。攻めて必ず取るは、その守らざる所をむればなり。守りて必ずかたきは、その攻めざる所を守ればなり。ゆえにく攻むる者には、敵、その守る所を知らず。く守る者には、敵、そのむる所を知らず。なるかななるかな、無形むけいに至る。しんなるかなしんなるかな、無声むせいに至る。ゆえによく敵の司命しめいをなす。
敵が必ずはせつけて来るようなところに出撃し、敵の想いもよらないところに急進し、遠い道のりを行軍し疲れないのは敵がいない土地を行軍するからである。攻撃したからには必ず奪取するというのは敵の守備していないところを攻撃するからである。守ったからには必ず賢固ないのは敵が攻撃しないところを守るからである。守りの巧みな人は、敵はどこを攻めればよいかわからない。
進みてふせぐべからざるは、その虚をけばなり。退しりぞきて追うべからざるは、すみやかにして及ぶべからざればなり。ゆえにわれ戦わんと欲すれば、敵、るいを高くしこうを深くすといえども、われと戦わざるをざるは、その必ず救う所をむればなり。われ戦いを欲せざれば、地をかくしてこれを守るも、敵、われと戦うをざるは、そのく所にそむけばなり。
進撃した場合に敵の方でそれを止めることができないのは、敵のスキをついたからである。後退した場合に敵がそれを追うことができないのは素早くて追いつけないからである。こちらから攻撃する時は敵が守っていなところを攻撃する。これが出来るのは敵にこちらのことを悟らせないときである。
ゆえに人をかたちせしめてわれにかたちなければ、すなわちわれはあつまりて敵は分かる。われはあつまりて一となり、敵は分かれて十とならば、これ十をもってその一をむるなり。すなわちわれはおおくして敵はすくなし。よくしゅうをもってを撃たば、すなわちわれのともに戦うところの者はやくなり。われのともに戦うところの地は知るべからず。知るべからざれば、すなわち敵のそなうるところの者多し。敵のそなうるところの者多ければ、すなわちわれのともに戦うところの者はすくなし。ゆえにまえに備うればすなわちうしろすくなく、後に備うればすなわち前すくなく、左に備うればすなわち右すくなく、右に備うればすなわち左すくなく、備えざるところなければすなわちすくなからざるところなし。すくなきは人に備うるものなり。おおき者は人をしておのれに備えしむるものなり。ゆえに戦いの地を知り、戦いの日を知れば、すなわち千里せんりにして会戦かいせんすべし。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、すなわち左は右をすくうことあたわず、右は左をすくうことあたわず、前は後をすくうことあたわず、後は前をすくうことあたわず。しかるをいわんや遠きは数十里すうじゅうり、近きは数里なるをや。われをもってこれをはかるに、越人えつひとの兵は多しといえども、またなんぞ勝敗しょうはいえきせんや。ゆえに曰く、しょうはなすべきなり。敵はおおしといえども、たたかうことなからしむべし。
 敵にははっきりした態勢をとらせて(虚)、こちの態勢を隠した無形(実)というのであれば、味方は集中でき、敵は分散する。敵が分散したら大勢で小勢を撃つことが出来る。

だから勝利を思いのままにえられることができる。敵はたとえ大勢でも虚実をはたらきでそれを分散させて味方に有利な立場を作る。

ゆえにこれをはかりて得失とくしつの計を知り、これをおこして動静どうせいを知り、これをあらわして死生しせいの地を知り、これにれて有余ゆうよ不足のところを知る。
 そこで戦いの前に敵の虚実を知るため敵情を目算してみて利害損得の見積をしり、敵軍をうごかせてみてその行動の基準を知り、敵軍のはっきりした態勢を把握し、実際に小競り合いをしてみて優勢なところ、手薄なところをする。
ゆえに兵をあらわすのきょくは、無形むけいに至る。無形むけいなれば、すなわち深間しんかんうかがうことあたわず、智者もはかることあたわず。けいりてしょうくも、衆は知ることあたわず。人みなわが勝つゆえんのけいを知るも、わがしょうを制するゆえんのけいを知ることなし。ゆえにその戦い勝つやくりかえさずして、けい無窮むきゅうおうず。
軍形の極意は無形である。無形であればスパイでもかぎつけることができず、智謀がすぐれたものも考え慮ることができない。あいての形が読み取れると、勝利がえられるのであるが、一般の人はその形をしることができない。
それ兵のかたちは水にかたどる。水のかたちは高きをけてひくきにおもむく。兵のかたちじつけてきょつ。水は地にりて流れを制し、兵は敵に因りてちを制す。ゆえに兵に常勢じょうせいなく、水に常形じょうけいなし。よく敵にりて変化してしょうを取る者、これをしんと謂う。ゆえに五行ごぎょう常勝じょうしょうなく、四時しじ常位じょういなく、日に短長たんちょうあり、月に死生しせいあり。
 軍の形は水の形のようなものである。軍の形も敵の備えをした実のところをさけて隙のある虚を攻撃する。

水と同様に軍も決まった勢はなく、決まった形もない。敵情のまましたがって変化して勝利を勝ち取ることははかりしれない神妙であうる。四季や天候など常に変化している。

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